名古屋のWebマーケティング企業「アライブ株式会社」のマーケティングブログ

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アライブ創業から10年の苦難の前半史

2022/09/30 | 経営全般

三輪 尚士

Writer三輪 尚士

CEO / Founder

こんにちは。アライブ代表の三輪です。

アライブは20周年を迎えました。

今では名古屋・ベトナムで総勢130名のスタッフとWebデザイン&マーケティング支援を行っていますが、創業は違うことからスタートしましたし、苦難の連続でした。

そこで、今回は創業から2010年までの前半期を振り返ってみたいと思います。

 

アライブを創業

幼なじみと激安印刷を創業

2000年に大学受験に失敗してフリーターになった私は、独学でデザインを覚えていました。

そんな2001年21歳の時に、幼なじみが「良いビジネスモデルがあるから一緒に起業しないか?」と誘われ、彼が社長、私が副社長という形で、激安印刷とデザインの個人事業主の形で創業しました。

資本金というか資金にしたのは祖父の古銭を売り払った7万円で、稲沢の自分の部屋に電話を引いて始めました。

この激安印刷は、値段は安いけれど、利益はしっかりととれるビジネスモデルでした。

今で言うプリントパックのビジネスモデルです。

 

ビギナーズラック

当時この地域では他にやっている所もなかったので、経営の知識もない2人でも初年度で4000万円ほど売ることができました。

それにより、名古屋・大須に事務所も借りることができましたし、初年度からお金に困ることがなくなりました。

このビジネスが上手くいったのは、経営のことを知っていたからではなく、単なる運です。

市場でニーズがあり、資金もいらなく、キャッシュフローがよく、専門知識もあまりいらないものをたまたま選んだだけです。他のビジネスを選んでいれば、とっくに潰れていたと思います。

ですから、領収書も見積もりも請求書も掛け売りも損益計算書も貸借対照表もまったく知らない状態でした。

今思えば、全く何もしらない状態で良くやったなと思いますが、知らなかったら怖いもの知らずだったので、出来たのかなとも思います。

 

目的意識もない経営

2003年、2004年は同じビジネスをやっていて、売上もほぼ同じくらいでした。

社員も私たち2人で、後はバイトが数名いました。

仕事も今よりルーズで、よく寝坊をしていましたし、ほかっておいても仕事がくるようなビジネスモデルだったので、お客様が来ない時は、会社に置いてあるゲーム機で二人で格闘ゲームをしながら、仕事をしていました。

お金の管理は私がしていましたが、3年経営していても、自分のPL、BSやいくら税金を払っているかもよく分かっていませんでした。2003年には有限会社になりました。

経営を学んでいるわけでもないので、ビジネスを大きくするという気持ちもなく、社員を増やすという気持ちもなく、現在の大きさでこのまま目の前の仕事だけしてもいいんじゃないかなと思ったりもしていました。

この頃は高級車にも乗っていて、若くして成功したつもりでいました。

 

貯金がゼロに。倒産の危機

新規事業でアパレルに手を出す

2004年、24歳のときは、幼なじみの社長が同じ毎日の仕事に飽きたのか、新しいビジネスをすると言い出しました。

オリジナルブランドを作って、アパレルに参入するということです。

この頃、ストリート系の若者は自分のブランドを作るのはステータスでしたから、そんな一環です。

最初は反対しましたが、社長は彼ですし、彼の熱意にほだされてやることになりました。

 

資金がなくなっていく恐怖

ただ、ここからが地獄でした。印刷やデザインは請負型で、お客様から仕事を頂いてから仕事が発生するので、先にお金がいるビジネスではありませんでした。

キャッシュフローということをあまり考えたことがなかった私は、アパレルがこんなに先にお金が要ることを理解していませんでした。

オリジナルブランドで服を作るということで、反物から買わなければならないし、売るためには在庫を用意しないといけない、さらに24歳経験なしのくせに中国で生産にしました。

店舗も構えるということで、名古屋の栄に店舗を持ちました。

家賃が30万円。保証金も10ヶ月分で300万円、中国生産の遅れでオープンも遅れたので、半年くらい空家賃を払いました。

そして、中国から送られて来た商品がパッキングリストと中身が違うということで、港から出すことができず、スタッフ全員で港までいって積み荷を直ました。

やっと通関して、20014年12月に商品がお店に並んでオープンしたら、お客様に売った後に欠陥品と分かり、再度お店を閉めました。泣き面に蜂です。

生産を中国から日本に変えて、製品を作り直しました。

中国で作った製品は大半は無駄な資金投下となりました。

 

金策に追われる日々

中国への支払い、生産への支払い、店舗の家賃、広告費、店舗スタッフの給料など、激安印刷で貯めた貯金も一瞬にしてなくなりました。給料もほぼ0にして、デザインの売上と合わせて、アパレルの支払いに充てていました。

徴収した代金を、別の支払い充てるという、自転車操業というのは、こういうことを言うのだなと身をもって体験しました。

21歳の時にビジネスを始めた時は、商売なんて簡単と思いましたが、全然そんなことはなく、たまたま良いビジネスを見つけただけで、私たちの経営手腕ではなかったのです。

 

経営基礎の勉強期

中小企業診断士を学ぶ

2005年、25歳の時はお金にとても苦しみました。

経理は自分が担当していましたが、色々な支払いをすると月末には2万円しか口座に残っていないこともありました。

この頃、このままじゃ会社は会社は潰れると数字が分からないままも感じました。

なんとかしないとと思い、もっと経営のことを理解しないとと思い、中小企業診断士を大原簿記に通って夜間勉強することにしました。

中小企業診断士の勉強を始めて、やっと経営が分かってきました。

その中で簿記を学んだので、PL、BSが理解できました。

それを基に自分の会社の財務諸表を正しくすることをして、月次決算書が正常になり、今どんな状態かを理解できるようになりました。

また経営戦略を学んで、行き当たりばったりの経営ではなく、ちゃんと計画や戦略にのっとった経営をしていくことの重要性を学ぶことができました。

 

会社が少し立て直されていく

中小企業診断士の考えの元、会社の再建に取りかかり、印刷、デザイン部門が改善していきましたし、新しくホームページ制作も行っていくことになりました。

ただ、アパレル部門も改善していくことはとても大変な作業でした。

高収益のデザイン部門と赤字垂れ流しのアパレル部門という構図が出来上がり、デザインで稼いだお金をアパレルにつぎ込む形でした。

2005年、経営を理解でき、経営を学んで自社の経営に取り組めば、会社の業績も変わるという手応えを感じ、光が見えた感じでした。

 

初めての経営計画書の作成

VCに会いにいく

2007年、27歳の時、アパレルは売上が上がっても利益が出ないという依然と難しい経営をしていました。

そんな時、銀行の融資ではなく、返さなくてもいいお金をくれるベンチャーキャピタルというところがあると聞き、そんないいことがあるのかと、お金を下さいとお願いにいきました。

そうしたら「経営計画書はあるの?」と言われ、「ないです。なんですか、それ。」と言ったら、困った顔をされました。

「あのねえ。ベンチャーキャピタルはお金をただであげるところではないんだよ。成長性のある会社やビジネスに対して、出資して、それを上場させてキャピタルゲインを得るのが目的だよ。そのためにはその会社は成長できるのか?ニーズはあるのか、上場できそうなのかを判断するためにも、事業計画書というものが必要なの。あと話を聴く限り、そのビジネスには出資できないよ。」と言われました。

 

初めての経営計画書の作成

私がしょぼんとしていたら、その方が「君は経営をがんばりたいの?」と聞かれ、「はい!」と答えると、「じゃあ、出資はできないけど、一緒に私と経営計画書を作ってみようか?」と言ってくれました。

それで一緒に3日くらいその方と籠って、経営計画書を作りました。いっぱいたくさんのことを話し合いましたが、その想いを分かりやすくまとめて、7〜8ページの初めての経営計画書が出来がありました。

その中に「相互愛」という経営理念が制定されました。

そしてその計画書を持って、経営計画発表会を行い、行き当たりばったりの会社がスタッフ達と経営のベクトルが一致した感じがしました。

 

高井会計との出会い

部門別会計の導入

そしてこの頃、別の経営本で「部門別会計」のことを知り、この部門別会計を弊社にも導入したいと思っていました。

その時の月次決算書は全ての合算の決算書だったので、もっと詳細にどの部門が儲かっているのかを知りたい、デザイン部門ももっと詳細に状態を知りたい、どこが悪いのかを見つけたいと思っていましたので、当時の税理士の方にお伝えすると「できない」と言われました。

また、月次決算書は1ヶ月後か場合によっては2ヶ月後に届くことが多く、また、内容が間違っていることも多くて、私が指摘して、まだ修正された決算書が届くのがさらに先…ということが多くありました。

なので、もっと早く、月末から10日後くらいには月次決算書が見たいと言ったら、それも「できない」と言われました。

この頃から他の会計事務所に移ろうかと思い始めました。

 

高井会計に移籍

2008年、28歳の時、噂で岐阜の高井会計という会計事務所が、経営計画書も作るし、部門別会計も出来ると聞きました。

税理士という方々には少し疑問を持っていたので、少し嫌な客な態度で電話連絡したところ、「経営計画書作れるの?」「出来ます」「部門別会計できるの?」「出来ます」「10日で月次決算書でるの?」「出ます」と、明快に答えられ、興味を持ちました。

また、実際の事務所にお邪魔してみると、高井先生もとても熱い方で、「まだまだ経営が甘い」とおっしゃられたので、ここでもっとがんばってみようと思い、高井会計に移ることを決めました。

 

経営計画書作成セミナー合宿に参加

その2008年の6月に4泊5日で経営計画書作成セミナーがあり、参加しました。

数字から裏打ちされた計画書の作り方、数字と情熱の両方が入った計画書の作り方を学び、まだまだ経営が甘いことを痛感しました。

特に自分たちの経営がBS的には良くない経営をしていたのだなと痛感し、このセミナーを出る前にやろうとしていた新規事業もやらないことに決めました。これをやっていたら潰れていたと思います。

年の数ページの経営計画書が一気に100ページくらいになりました。

2008年から経営計画セミナーは毎年出て、合計10回出席しました。

 

社長交代

2009年、29歳、ずっとアパレルは色々と経営改善を試みていましたが、依然と厳しい状況でした。

部門別会計をすることでデザイン部門が稼いで、アパレルが赤字になるのも数字で鮮明になりました。

社員もデザイン部門はどんどん増えていくのに対してアパレルは増えませんでした。

デザイン部門で得た利益もアパレルで消えて行くので、増えていくデザイン部門のスタッフに対してしっかりと給与面や福利厚生部分で応えてあげれないことに対して悩んでいました。

そして、幼なじみの社長も社長としての動きがあまりできておらず、私が実質の経営をしていました。

また、アパレルの業績が悪いことでモチベーションも下がっていることもあり、私から社長交代を打診し、承認されました。

しかし、自分が社長になれて嬉しい気持ちなんて全然ありませんでした。

依然会社の財務は厳しい状態だったので、この状況を打開しないとと潰れるという危機感がありました。

 

アパレルの撤退

2010年、30歳、アパレルでがんばっていた市場に大手のグンゼが参入するというニュースを見ました。

私はそのニュースを見て、アパレル部門の撤退を決めました。

そして、そのことを幼なじみに伝え、了承を得ました。

彼に会社に残ることを伝えましたが、アパレル部門がなくなるのであれば、会社に残る意味もないし、やりたいこともあるからと彼は会社を去りました。

10年間一緒にいた彼と別々の道を歩むこととなりました。

フリーターだった自分に彼が声をかけてくれたから、僕は起業できました。

そのことにはとても感謝しています。

 

次の10年へ

2011年からデザイン部門のみで再出発し、赤字部門がなくなったことで会社は健全になっていきました。

経営資源を一つのことに集中させることでより、スタッフもお金もブランディングも強化されて行くことを感じました。

そして、ここから次の10年がありますが、それはまたの機会にお伝えできたらなと思います。

 

これはこのアライブ前半の歴史を元に作った曲なのでよかったら聞いてみてください。

三輪 尚士

Writer三輪 尚士

CEO / Founder ブログ プロフィール

アライブ創業者。1980年生まれ。2001年21歳の時に幼なじみとデザイン会社を立ち上げ、数々の失敗をしながら、四苦八苦して会社を成長させていく。現在創業22年目、日本とベトナムで約130名のスタッフと共にWebマーケティングとデザインでクライアントの成長をサポートし続けている。歴史好き。

アライブ創業者。1980年生まれ。2001年21歳の時に幼なじみとデザイン会社を立ち上げ、数々の失敗をしながら、四苦八苦して会社を成長させていく。現在創業22年目、日本とベトナムで約130名のスタッフと共にWebマーケティングとデザインでクライアントの成長をサポートし続けている。歴史好き。

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